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八幡神社と八幡宮の違いとは?格式や神様・参拝作法の謎も徹底解説

八幡神社と八幡宮の違いとは?格式や神様・参拝作法の謎も徹底解説

こんにちは。社結び、運営者の友護です。

街を歩いていると、八幡神社や八幡宮という名前をよく見かけますよね。

ふと、この二つは何が違うのだろうと疑問に思ったことはありませんか。実は、私も以前は単なる名前の違いだと思っていましたが、調べてみるとそこには神様のランクや歴史的な背景が深く関わっていることを知り、とても驚きました。

日本三大八幡宮に数えられる神社や、総本社である宇佐神宮のこと、そしてなぜこれほどまでに全国に八幡様が多いのか。今回は、そんな素朴な疑問を解消しながら、次に参拝するのが少し楽しみになるようなお話をシェアしたいと思います。

この記事のポイント

  • 八幡宮と八幡神社の名前の違いが示す格式と歴史的意味
  • 祀られている神様のご利益や鳩がシンボルである理由
  • 総本社の宇佐神宮と地域に根付いた八幡信仰の広がり
  • 参拝時に知っておきたい二礼四拍手などの作法とマナー

八幡神社と八幡宮の違いや社格の定義は?

八幡神社と八幡宮の違いや社格の定義は?

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八幡神社と八幡宮。

街中で見かけるこれらの社号は、どちらも同じ八幡様を祀っているはずなのに、なぜ呼び名が異なるのでしょうか?

多くの参拝者が抱くこの疑問の答えは、単なる名称の揺らぎではなく、日本古来の神道における厳格な社格や、皇室との歴史的な結びつきに隠されています。実は宮(ぐう)という称号は、誰でも名乗れるものではなく、天皇や皇族、あるいは歴史的な偉人にゆかりのある特定の神社にのみ許された、非常に格式高い特別な称号なのです。

記事前半では、まず多くの方が最も知りたい神社と宮の決定的な違いを定義から紐解き、それぞれの称号が持つ意味合いを明確に解説します。

また、全国に数万社あると言われる八幡信仰の頂点に立つ総本社「宇佐神宮」の由緒や、なぜこれほどまでに八幡様が日本中に広まったのか、その背景にある源氏をはじめとする武家社会との関わりについても掘り下げていきます。

この章を読み終える頃には、神社の看板を見るだけで、その由緒や格式がイメージできるようになるはずです。

称号によるランクや格式の明確な差とは?

まず結論から申し上げますと、「八幡宮」と「八幡神社」の決定的な違いは、その社格(神社のランク)と歴史的な由緒にあります。普段、私たちは何気なく「八幡さま」と呼んでいますが、実はその正式名称には、神道における厳格なルールと階層(ヒエラルキー)が隠されているのです。

神社の名前はお店の看板のようなもので、末尾に何が付くかで「どのような神様が祀られているか」「どれくらい格式が高いか」がある程度判別できるようになっています。八幡信仰においては、主に以下の3つの称号が使われています。

称号の種類 定義と特徴
神宮
(じんぐう)

【最上位】
原則として皇室の祖先神を祀る、極めて格式の高い神社です。「伊勢神宮」が代表格ですが、八幡様の総本社である「宇佐神宮」もこの称号を持っています。これは、皇室にとって八幡様がいかに特別な存在であるかを示しています。


(ぐう)

【上位】
天皇や皇族、あるいは国に著しい功績を残した人物を祀る神社に許された特別な称号です。八幡様は「応神天皇」を祀っているため、歴史的に朝廷から崇敬された有力な神社は「八幡宮」を名乗ります(例:石清水八幡宮、鶴岡八幡宮)。

神社
(じんじゃ)

【一般的】
最も一般的な神社の呼称です。「八幡宮」から神様の御分霊(わけみたま)をいただき、地域の人々が守り神として創建したお社の多くが「八幡神社」となります。

このように、「宮」という字が付く八幡様は、単に規模が大きいだけでなく、「皇室(天皇)と直接的な関わりがある」または「歴史的に国家レベルで重要視されてきた」という証拠でもあります。

一方で「八幡神社」は、それらの格式高い「本家(総本社や有力な八幡宮)」から正式に暖簾分け(のれんわけ)をしてもらった地域の支店のような存在だとイメージすると分かりやすいかもしれません。

平安時代以降、源氏をはじめとする武士たちが全国各地に領地を広げる際、「自分たちの土地にも最強の守護神を置きたい」と願い、京都の石清水八幡宮や鎌倉の鶴岡八幡宮から神様をお招き(勧請)して建てたのが、これら数多くの八幡神社なのです。

もちろん、ランクに差があるといっても、それはあくまで歴史的な成り立ちの話です。「宮だから願いが叶いやすい」「神社だから効果が薄い」なんてことは全くありません。むしろ、地域の八幡神社こそが、私たちの日々の生活を一番近くで見守ってくれている「身近な氏神様」として、とても大切な存在なんですよ。

祀られている神様や祭神の基本構成について

八幡神社と八幡宮の違いは?祀られている神様や祭神の基本構成について

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では、名前が違うと祀られている神様も違うのでしょうか?実は、基本的なご祭神は同じです。ここが少しややこしいところですが、八幡様は「一人の神様」ではなく、複数の神様を総称している場合がほとんどなのです。

多くの八幡宮や八幡神社では、八幡三神(はちまんさんしん)と呼ばれる三柱の神様がセットで祀られています。この「三座」の形式が、八幡信仰の大きな特徴と言えます。

応神天皇(おうじんてんのう) 別名を誉田別尊(ほむたわけのみこと)。第15代天皇であり、八幡信仰の中心となる神様です。大陸文化を取り入れた改革者としても知られています。
比売神(ひめがみ) 宇佐地方の地主神とも、宗像三女神とも言われる女神様です。宇佐神宮では非常に重要視されています。
神功皇后(じんぐうこうごう) 応神天皇のお母様にあたる方です。安産や教育の神様としても知られており、強い母の象徴でもあります。

このように、天皇とその母君、そして地元の女神様が一緒に祀られているのが八幡様の特徴です。特に応神天皇と神功皇后という「皇室の親子」が祀られているからこそ、皇室ゆかりの「宮」という称号が使われているのですね。

神社の由緒書きを見たときに、この三柱のお名前を見つけたら「ああ、これが八幡三神か」と思い出してみてください。

【補足】宇佐神宮における配置の謎

少しマニアックな話になりますが、総本社の宇佐神宮では、この三柱の配置が非常にユニークです。通常、主祭神である応神天皇が真ん中に来そうなものですが、宇佐神宮の上宮では、なんと「比売神(ひめがみ)」が中央(二之御殿)に配置されています。

これは、八幡神(応神天皇)が現れる以前から、宇佐の地で信仰されていた地主神(土地の神様)である比売神を、最も重要視している表れだとも言われています。八幡信仰は、外来の文化や新しい権力(天皇)と、古くからの土着の信仰が融合して生まれた、とても懐の深い信仰なんですね。

つまり、八幡様とは「強いお母さん(神功皇后)」と「偉大な息子(応神天皇)」、そして「その土地の女神様(比売神)」がチームを組んで守ってくれている最強の神様ユニットだと言えるでしょう。

総本社である宇佐神宮の由緒と歴史

全国に4万社以上あるとも言われる八幡様の頂点、つまり「総本社」をご存じでしょうか。それは大分県宇佐市にある「宇佐神宮」です。すべての八幡様は、ここから広がっていきました。

宇佐神宮は、奈良時代の725年に創建されたと伝えられる非常に歴史の古い神社です。実はここ、伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟(そうびょう:皇室の祖先を祀る場所)とされるほど、皇室から篤く崇敬されてきました。かつては神仏習合(神道と仏教が混ざり合うこと)の発祥の地ともされ、八幡大菩薩として仏教を守る神様としての性格も持っていました。

九州の一地方神社であった宇佐神宮が、なぜこれほど中央政権(奈良・京都)と深く結びつき、国家レベルの守護神となったのか。そこには2つの大きな歴史的事件が関係しています。

1. 東大寺の大仏建立への協力(749年)

聖武天皇が奈良の東大寺に大仏を作ろうとした際、資材不足や反対勢力の問題で計画は難航していました。その時、はるか遠く宇佐の地から八幡神が「私は天神地祇(すべての神々)を率いて、我が身をなげうってでも必ず大仏建立を成功させる」という力強い神託(お告げ)を下しました。さらに、不足していた黄金が発見されるという奇跡も起き、八幡神は「東大寺の守護神」として奈良(手向山八幡宮)にお迎えされたのです。

2. 皇統断絶の危機を救った「和気清麻呂」(769年)

奈良時代末期、僧侶である弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が皇位を狙うという「道鏡事件」が起きました。この時、再び宇佐神宮から重大な神託が下されます。勅使として派遣された和気清麻呂(わけのきよまろ)に対し、八幡神は「皇位は必ず皇族が継ぐべきものであり、無道の者は排除せよ」と告げたのです。

この神託により、道鏡の野望は阻止され、万世一系の皇統が守られました。この功績により、宇佐神宮は「国家鎮護の神」「皇室の守り神」としての地位を不動のものとしたのです。

このように、宇佐神宮は単なる地方の神社ではなく、日本の歴史の転換点に深く関わってきた、特別なパワースポットなのです。詳しい由緒や現在の祭事については、公式サイトでも詳しく紹介されています。

(出典:宇佐神宮 公式サイト

武士が信仰を広めた歴史的な背景とは?

八幡神社と八幡宮の違いは?武士が信仰を広めた歴史的な背景とは?

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「八幡様=戦いの神様、武士の神様」というイメージをお持ちの方は多いのではないでしょうか。ドラマやアニメでも、武将が「南無八幡大菩薩(なむはちまんだいぼさつ)!」と戦場で祈るシーンは有名ですよね。

もともと皇室の祖先神であった八幡様が、なぜ武家の守護神としてこれほど熱狂的に崇拝されるようになったのか。そこには、歴史を動かしたある親子の物語と、武士たちの「生き残り戦略」が深く関わっているのです。

源氏最強の武将「八幡太郎」の誕生

平安時代中期、武士がまだ貴族の番犬のような扱いだった頃、清和源氏(せいわげんじ)という武士団が台頭しました。その中でも特に八幡信仰を決定づけたのが、源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)の親子です。

父の頼義は、京都の石清水八幡宮を深く信仰し、前九年の役という大きな戦いで勝利を収めました。そしてその息子である義家は、なんと石清水八幡宮の社前で元服(成人式)を行い、自らを「八幡太郎(はちまんたろう)」と名乗ったのです。

「自分は八幡様の子である」と宣言したに等しいこの行動により、彼は武神の申し子として絶大なカリスマ性を発揮しました。これ以降、「源氏の氏神=八幡様」という図式が完全に定着し、石清水八幡宮は源氏一門にとって特別な聖地となったのです。

(出典:石清水八幡宮 公式サイト

鎌倉幕府と全国展開の仕組み

その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開く際、真っ先に行ったのが鶴岡八幡宮の整備でした。頼朝は、八幡宮を単なる神社ではなく、武家政権の精神的な中心地(守護神)として位置づけたのです。

ここから、八幡様の全国展開が加速します。

【八幡神社が全国に増えた理由】

  • 領地経営の守り神として:
    鎌倉武士たちは、功績により全国各地に領地(荘園)を与えられました。彼らは新しい土地に移り住む際、「ここでも自分たちを守ってほしい」と願い、鎌倉や京都から八幡様を勧請(分霊)して神社を建てたのです。
  • 最強のブランド:
    地方の武士たちにとっても、源氏と同じ神様を祀ることは「強い武士の仲間入り」をするステータスでもありました。

つまり、今私たちが近所で見かける小さな八幡神社も、元をたどれば「かつてそこを治めた武士が、故郷や主君を想って建てた信仰の証」である可能性が非常に高いのです。

現代では「戦い」の意味が変わり、スポーツの試合や受験戦争、ビジネスのコンペなど、「人生の勝負事」に勝つ神様として信仰されています。源氏たちが必死に祈った勝利への執念は、形を変えて今も私たちを後押ししてくれているのですね。

諸説ある日本三大八幡宮の場所は?

「日本三大〇〇」というのはよく聞きますが、「日本三大八幡宮」がどこを指すのかご存じですか?実はこれ、ちょっとした論争(?)があるんです。時代や地域によって定義が少し異なるのが面白いところです。

まず、間違いなく確定しているのが以下の二社です。ここは不動のトップ2と言えるでしょう。

  • 宇佐神宮(大分県):
    すべての八幡様の総本社であり、皇室の第二の宗廟。
  • 石清水八幡宮(京都府):
    宇佐から勧請され、京の都の守護神(裏鬼門の守り)とされた社。

そして、問題の3つ目ですが、地域や歴史的視点によって以下の二つの説に分かれます。

候補となる神社 選ばれる理由と背景
鶴岡八幡宮
(神奈川県)

【関東・武家社会の視点】
鎌倉幕府の守護神であり、知名度は全国区。関東地方を中心に絶大な人気を誇ります。「武士の都・鎌倉」の象徴として、三大八幡に数えられることが非常に多いです。

筥崎宮
(福岡県)

【九州・古式の視点】
平安時代の創建(923年)で、歴史の古さは鶴岡八幡宮を凌ぎます。元寇の際に「敵国降伏」を祈願した場所としても有名で、九州地方や古い史料ではこちらが三大八幡とされます。

メモ

どちらが正解というわけではなく、「宇佐・石清水・鶴岡」または「宇佐・石清水・筥崎」のどちらの組み合わせも正解とされています。旅行などで訪れる際は、「ここはどっちの説を推しているのかな?」と由緒書きをチェックしてみるのも面白いかもしれませんね。

八幡神社と八幡宮の違いと関連知識について

八幡神社と八幡宮の違いと関連知識について

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八幡神社と八幡宮の格式や歴史的な定義の違いを理解したところで、次は実際に神社へ足を運ぶ際に役立つ実用的な知識や、知っていると少し自慢できるような興味深い雑学(トリビア)に焦点を当てていきましょう。

八幡様といえば、源氏の守護神としての歴史から「勝負必勝」や「武運長久」の神様というイメージが強いですが、実は安産や子育て、家内安全など、現代の私たちの生活に寄り添う驚くほど幅広いご利益を持っていることをご存じでしょうか。

また、神社の境内でよく見かける鳩のモチーフや、鳥居の扁額(へんがく)に隠された独特な「八」の字のデザインには、神様の使いとしての深い意味や伝説が込められています。

さらに、一般的な二礼二拍手一礼とは異なる、特定の八幡宮に伝わる「二礼四拍手」という特殊な参拝作法についても触れていきます。

記事後半では、単なる知識だけでなく、参拝がより楽しく、意味深いものになるような「八幡信仰の奥深さ」を網羅的に紹介します。これを知れば、次の参拝がより味わい深いものになること間違いありません。

勝負運や安産などの主なご利益

八幡様のご利益といえば、やはり必勝祈願が有名ですよね。これは前述の通り、源氏が戦の神様として崇めたことに由来します。現在でも、スポーツの試合や受験勉強の合格祈願などで多くの人が訪れます。「絶対に負けられない戦い」がある時は、八幡様の力をお借りしたいものです。

でも、それだけではありません。実は安産・子育てのご利益も非常に強いのです。意外に思われるかもしれませんが、これにはご祭神の母子の物語が関係しています。

祭神である神功皇后は、応神天皇を妊娠した状態で海を渡り、三韓征伐を行ったといわれています。その際、お腹に石を当てて出産を遅らせ、戦を勝利に導いた後に無事に出産したという伝説があります。このことから、母と子が一緒に祀られている八幡様は、家族を守る優しい神様、そして安産の神様という側面も持っているんですね。

さらに八幡様は、国家を守るほどの強力なパワーを持つことから、厄除け(やくよけ)の神様としても信仰されています。日々の生活で溜まった穢れを祓い、災いを寄せ付けないようにする力もまた、八幡様の大きな魅力です。お宮参りで八幡神社が選ばれることが多いのも、こういった強さと優しさを兼ね備えた理由からなんですね。

神の使いである鳩と八の字の秘密とは?

神の使いである鳩と八の字の秘密とは?

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八幡宮に参拝すると、お守りや絵馬、境内の彫刻など、至る所に鳩のモチーフがあることに気づくはずです。実は、鳩は八幡様の「神使(しんし・神様の使い)」として、古くから大切にされてきました。

では、なぜ平和の象徴である鳩が、武運の神様である八幡様の使いになったのでしょうか。その由来には、いくつかの興味深い伝説があります。

【鳩が神の使いとなった伝説】

  • 金色の鳩の道案内:
    平安時代、八幡神を総本社の宇佐神宮(大分)から石清水八幡宮(京都)へお招き(勧請)する際、金色の鳩が現れて道案内をしたと伝えられています。
  • 白鳩と源氏の勝利:
    源義家(八幡太郎)が戦場に向かう際、白鳩が兜(かぶと)にとまったり、軍勢の上を飛び回ったりして勝利へ導いたという逸話があります。

このように、鳩は単なる鳥ではなく、「神様の意志を伝え、勝利や良い方向へ導くガイド役」として信仰されてきたのです。

「八」の字に隠された鳩のデザイン

今度、八幡宮(特に石清水八幡宮や鶴岡八幡宮など)に行かれた際は、ぜひ鳥居や楼門に掲げられている「扁額(へんがく:神社の名前が書かれた看板)」を見上げてみてください。

「八幡宮」の「八」の字が、二羽の鳩が向かい合っているデザインになっていることがよくあります。これは、神使である鳩を文字の中に取り入れた粋な計らいです。

メモ

ちなみに、鎌倉土産として有名な「鳩サブレー」も、この鶴岡八幡宮の扁額の鳩をモチーフにして生まれたと言われています。お土産話の一つとして、誰かに話したくなるトリビアですね。

(出典:鶴岡八幡宮 公式サイト

参拝作法における二礼四拍手の意味

神社の参拝作法といえば「二礼二拍手一礼」が一般的ですが、八幡様の総本社である宇佐神宮では「二礼四拍手一礼」が正式な作法とされています。

拍手を4回打つ「四拍手」を行うのは、全国でも出雲大社(島根県)と宇佐神宮(大分県)、そして弥彦神社(新潟県)など、ごく一部の歴史ある神社に限られています。

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なぜ4回手を叩くのか?

「四」という数字には、死を連想させるとして避ける文化もありますが、神道においては「四季(春夏秋冬)」「四方(東西南北)」を表し、より丁寧で丁重な祈りを捧げるという意味合いがあると言われています(諸説あります)。

それだけ宇佐神宮が、他の神社とは一線を画す高い格式を持っていることの証とも言えるでしょう。

ポイント

「四拍手」なのは、主に総本社の宇佐神宮(およびその直系の兼務社の一部)での作法です。
鶴岡八幡宮や石清水八幡宮、そして皆さんの近所にある八幡神社では、通常通り「二礼二拍手一礼」で問題ありません。

「八幡様だからどこでも4回だ!」と勘違いしてしまうことも多いので、参拝前に境内の案内板を確認するのが確実ですね。

地域にある有名な八幡神社の実例

地域にある有名な八幡神社の実例

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日本全国には約4万社もの八幡様があると言われています。三大八幡宮以外にも、その地域ならではの歴史やご利益を持つユニークな八幡神社がたくさんあります。いくつか代表的なお社をご紹介しましょう。

神社名(地域) 特徴と見どころ
函館八幡宮 (北海道)

北海道の開拓と守護の要として信仰されています。函館山の麓に鎮座し、聖帝八棟造り(しょうていはちむねづくり)という荘厳な社殿が特徴です。

盛岡八幡宮 (岩手県)

鮮やかな彫刻が施された社殿が美しく、地域の人々の心の拠り所です。馬の守り神としても有名で、伝統行事「チャグチャグ馬コ」のゴール地点でもあります。

大宮八幡宮 (東京都)

「東京のへそ(中心)」と呼ばれる場所にあり、広大な境内は都会のオアシス。子育て・安産のご利益で有名ですが、「小さいおじさん(妖精)」の目撃談があるという不思議な噂でも知られています。

富岡八幡宮 (東京都)

「深川の八幡さま」として親しまれ、江戸勧進相撲発祥の地として知られます。境内には歴代横綱の名が刻まれた巨大な石碑があり、相撲ファン必見のスポットです。

誉田八幡宮 (大阪府)

応神天皇陵(古墳)のすぐ隣に鎮座する、日本最古の八幡宮の一つ。国宝の神輿(みこし)を有し、歴史的な価値が極めて高い神社です。

あなたの住んでいる街の八幡神社にも、もしかしたら「ここだけの物語」が眠っているかもしれません。小さな神社でも、由緒書きを読んでみると、源氏の武将が立ち寄った伝説や、地域の開拓の歴史が記されていたりして、意外な発見があるはずです。

八幡神社と八幡宮の違いのまとめ

ここまで八幡神社と八幡宮の違いについて、由緒や歴史、雑学を交えて解説してきましたが、いかがでしたでしょうか。

最後に、本記事のポイントを改めて整理します。

【記事の要点まとめ】

  • 名前の違い:
    「八幡宮」は皇室や歴史的偉人と関わりが深い格式高い称号。「八幡神社」は地域に根付いた身近な守り神としての呼称。
  • 神様は同じ:
    基本的にはどちらも「応神天皇・神功皇后・比売神」の三柱(八幡三神)を祀っている。
  • 歴史的背景:
    総本社・宇佐神宮(大分)から始まり、源氏(武士)の守護神として全国へ広がった。
  • 楽しみ方:
    「鳩」のマークや「八」の字のデザイン、参拝作法の違い(宇佐神宮は四拍手)などに注目すると、参拝がより深くなる。

名前の違いによる「格」の差は確かに歴史的な事実として存在しますが、神様のありがたさに優劣はありません。

「宮だから凄い」「神社だから普通」と区別するのではなく、その背景にある「守り神として大切にされてきた歴史」を感じながら手を合わせれば、きっとこれまで以上に清々しい気持ちで参拝できるはずです。

今度、街角で「八幡」の文字を見かけたら、ぜひその扁額の鳩や、由緒書きに目を向けてみてくださいね。そこには、1000年以上続く信仰のドラマが隠されているかもしれません。

確認

※本記事の情報は一般的な通説に基づいています。各神社の詳細な由緒や作法については、現地の公式サイト等も併せてご確認ください。

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