こんにちは。社結び、運営者の友護です。
富士山信仰について調べていると、浅間神社、奥宮、そして古来地という、いくつかの重要な聖地を示す言葉が出てきますよね。
私も最初、これら3つの場所の関係性が正直よく分からなかったんです。信仰の原点とされる場所と、現在の総本宮、そして山頂の奥宮は、それぞれどう違うのか、どう繋がっているのか…と、少し混乱しました。
さらに、「じゃあ富士山頂は誰のものなの? 」とか「山頂には神社が二つあるけど、奥宮と久須志神社の違いって? 」みたいに、関連する疑問も次々に出てくるのではないでしょうか。
実はこの浅間神社、奥宮、古来地の3聖地は、一見するとバラバラのようですが、歴史を辿ると道や住所といった、とても面白い絆で結ばれているんです。
この記事では、その「浅間神社、奥宮、古来地」の3つの聖地の関係性を分かりやすく整理し、そこに隠された富士山信仰の壮大なストーリーを、関連する疑問とあわせて解き明かしていきます。
この記事のポイント
- 「古来地」と呼ばれる信仰の原点
- 「浅間神社」が総本宮になった経緯
- 「奥宮」の意外な住所に隠された秘密
- 山頂の所有権や関連神社の違い
浅間神社、奥宮、古来地の関係性とは?

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「浅間神社 奥宮 古来地」と検索したとき、これらが同じ場所なのか、それとも全く別のものなのか、混乱しやすいかもしれません。
結論から言うと、これらは富士山信仰の壮大な歴史において、時系列と場所の両方で密接に結びつく、3つの異なる聖地を指します。浅間神社とは、全国の総本宮である富士山本宮浅間大社(里宮)のこと。古来地とは、その信仰発祥の地とされる山宮浅間神社(元宮)。
そして奥宮は、富士山頂に鎮座する奥の院を指します。前半では、まずこれら3つの聖地の定義と、それらを結びつける歴史的な関係性について詳しく解説します。
古来地は山宮浅間神社(元宮)

まず、古来地(こらいち)とは、山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)のことを指します。
ここは、現在の富士山本宮浅間大社の元宮(もとみや)、つまり信仰の発祥の地とされる、非常に神聖な場所です 。
社伝によれば、その歴史は紀元前27年にまで遡るというのですから驚きですよね。当時の人々にとって、噴火を繰り返す富士山は、まさに怒る神そのもの。その神威を鎮めるために、富士山麓の山足之地に神様を祀ったのが浅間大社の始まりとされています 。
その後、西暦110年に、その神様は現在の山宮浅間神社の地に遷されました。ここが古来地であり元宮と呼ばれる理由です 。
本殿なき祭祀場の意味
山宮浅間神社の最大の特徴は、なんと本殿が存在しないことです 。私たちが神社と聞いてイメージする、神様がお鎮まりになる建物がないんですね。
これは、日本古来の山岳信仰、アニミズムの形を色濃く残している証拠と言えます。特定の建物ではなく、富士山そのものを神(御神体)として直接拝むための遥拝所(ようはいじょ)としての機能が中心だったことを示しています 。神様は建物の中ではなく、あの雄大な富士山に宿ると考えられていたわけです。
メモ
境内には、古代の祭祀の際に神職らが着席した位置を示すとされる石列も残っており 、ここがまさしく信仰の原点、古代の祭祀場であったことを今に伝えています。この場所で、古代の人々が富士山に向かって祈りを捧げた姿を想像すると、なんだか厳かな気持ちになりますね。
こうした場所での振る舞いについては、まずは心を鎮めて、目の前の御神体(富士山)に敬意を払うことが大切かなと思います。
浅間神社は総本宮の富士山本宮

次に、「浅間神社」ですが、これは一般的に全国に約1,300社ある浅間神社の「総本宮(そうほんぐう)」である、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)を指します 。
信仰の古来地である山宮浅間神社(元宮)から、現在の地へ神様が移された(遷座:せんざ)のは、806年(大同元年)のことです 。
なぜ山宮から「里宮」へ遷されたのか
この遷座には、当時の国家的な事情が大きく関係しています。この年、征夷大将軍であった坂上田村麻呂が、山宮から、より人々が参拝しやすい現在の地(大宮)に壮麗な社殿を造営し、浅間大神を遷したと伝えられています 。
これには、単に参拝しやすくするというだけでなく、富士山の噴火を鎮めるというローカルな信仰から、国家鎮護の神社として、その神威をより広く仰ごうとする意図があったと考えられます。
山宮浅間神社(元宮)に対して、人々が住む里に降りてきたことから里宮(さとみや)とも呼ばれており 、ここが名実ともに全国の浅間信仰の中心地となっていったわけですね。
奥宮は富士山頂上の奥の院

そして3つ目の奥宮(おくみや)は、その名の通り、富士山本宮浅間大社の奥の院として、富士山頂に鎮座する富士山頂上浅間大社奥宮を指します 。
場所は、富士宮口登山道の山頂、まさに日本のてっぺんです 。
御祭神は、総本宮(里宮)と同じく浅間大神(あさまのおおかみ)、またの名を木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)です 。
さらに、相殿神(あいでんしん:一緒に祀られる神様)として、主祭神の父神である大山祇神(おおやまづみのかみ)と、夫である瓊々杵尊(ににぎのみこと)も一緒に祀られています 。家族の神様が山頂に揃って鎮座されているというのも、なんだか素敵ですよね。
もちろん、この奥宮は一年中参拝できるわけではなく、富士山の開山期間中(主に夏)のみ開所される、日本で最も高い場所にある特別な神社です。
3聖地を繋ぐ御神幸道とは?

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さて、信仰の古来地(元宮)と、現在の浅間神社(里宮)ができたわけですが、この2つの聖地の関係は、神様が遷座した後も決して途切れませんでした。
実は、明治時代の初めまで、春と秋の年2回、浅間大神の御神霊が里宮から元宮へと里帰りし、再び里宮へお戻りになる山宮御神幸(やまみやごしんこう)という、とても重要な神事が行われていたんです 。
そして、この神事のために神様が通られた約5.45kmの道のりが「御神幸道(ごしんこうどう)」と呼ばれます 。
神様が定期的に里帰りしていたという事実は、遷座した後も古来地の神聖性が失われておらず、むしろ里宮の権威やパワーの源泉であり続けたことを示しているようで、とても興味深いですよね。2つの聖地は、物理的にも霊的にも深く結ばれていたわけです。
メモ
現在も、富士山本宮浅間大社の境内には、この御神幸道の起点を示す「御神幸道首標の碑」(1691年造立)が残されており 、2つの聖地が信仰上「一体」であった歴史を静かに伝えています。
奥宮の住所が山宮である謎
ここが、私がこのテーマで一番「!」となった、面白いポイントかもしれません。
富士山頂にある「奥宮」(富士山頂上浅間大社奥宮)の公式な住所表記を見てみると、「〒418-0111 静岡県富士宮市山宮740」となっています 。
……お気づきでしょうか?
そう、遠く離れた山麓にある古来地であり元宮である山宮浅間神社の地名と、まったく同じ「山宮(やまみや)」なんです。
これは単なる偶然の一致ではなく、歴史的に、富士山頂(奥宮)は、古来地である「山宮」の管轄地として認識されていた、あるいは行政的・宗教的に「山宮」に帰属するとされてきたことの強力な証拠と考えられています。
ユーザーが検索した奥宮と古来地は、単に歴史的に関連するだけでなく、この住所という現代に残る証拠によって、今もなお法的(あるいは霊的)に繋がっている……と考えると、なんだかワクワクしませんか?
富士山信仰の奥深さを感じさせる、最大のミステリーかもしれませんね。
浅間神社・奥宮・古来地と富士山信仰の謎

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「浅間神社」「奥宮」「古来地」の3つの関係性を理解すると、さらに深い富士山信仰の謎が見えてきます。例えば、富士山の山頂(奥宮がある場所)は、実は静岡県や山梨県の公有地ではなく、富士山本宮浅間大社の私有地です。
また、山頂には奥宮の他にもう一つ久須志神社が存在しますが、両者はどう違うのでしょうか。さらに、山梨県側にあり富士山最古を称する冨士御室浅間神社との関係や、奥宮が開いている限られた期間、山頂でしか手に入らない授与品についても、気になりますよね。
後半では、こうした関連する疑問を深掘りし、富士山信仰の全体像を解き明かします。
富士山頂上は誰のもの?所有権を解説
「浅間神社 奥宮 古来地」といったキーワードを調べていると、必ずと言っていいほど「じゃあ、富士山のてっぺんって、結局誰のものなの?」という疑問にぶつかりますよね。私もすごく気になって、これはしっかり調べました。
静岡県のもの?山梨県のもの?それとも国(国有地)?といろいろ想像するかもしれませんが、答えはちょっと意外かもしれません。
結論:8合目以上は浅間大社の私有地
結論から言うと、富士山の8合目から山頂までの広大な領域(約385万平方メートル!)は、富士山本宮浅間大社の境内地、すなわち「私有地」です 。
これは結構驚きですよね。静岡県や山梨県の公有地ではないんです 。私たち登山者は、神社の神聖な境内地(お庭)にお邪魔させていただいている、という形になるわけです。そう考えると、登山の心構えも少し変わってくるかもしれません。
私有地になった経緯と例外
この領域は、歴史的な経緯(明治時代の神仏分離や土地政策など)から、もともと国有地として扱われていました。しかし、富士山が古来より浅間大社の御神体であったという歴史的・宗教的な背景を尊重し、2004年(平成16年)に国から富士山本宮浅間大社へ正式に譲与(返還)されました 。
ただし、すべての土地が譲与されたわけではありません。多くの人が利用する公共性の高い場所は、対象から除かれています。
譲与対象から除外された主な土地 :
- 登山道(富士宮口、吉田口など)
- 山梨県道富士上吉田線
- 富士山特別地域気象観測所(旧富士山測候所)の敷地
つまり、私たちが歩く登山道や、重要な観測施設などは、神社の私有地とは別枠として管理されているんですね。これにより、信仰の聖地としての所有権と、公共の利益(登山や研究)が両立するようになっています。
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最大の謎:なぜ2004年までかかったのか?
「神社のものなら、なぜ2004年という比較的最近まで国が持っていたの?」と不思議に思いますよね。これには、日本でも非常に珍しい、ある法的な問題が大きく関わっていました。
メモ:譲与が遅れた理由「県境未確定」問題
この土地譲与が長年遅れた最大の背景には、富士山頂の「県境が未確定である」という、日本でも稀有な問題があります 。
国から神社へ土地を譲与(移転登記)するには、その土地が「静岡県富士宮市」なのか「山梨県」なのか、法的な住所(土地表示)を確定させる必要があります。しかし、富士山の山頂部は、静岡県と山梨県のどちらに属するかが法的に定まっていない(=線引きがされていない)状態が続いているんです。
この「県境未確定」問題が進展しないため、土地の登記ができず、譲与の手続きもずっと停滞していました 。
最終的に、この県境問題の解決を待っていては埒が明かないため、2004年に神社側の要請を受ける形で、歴史的・宗教的経緯を尊重するという形で、県境問題を棚上げしたまま神社への譲与が先行して行われました 。
行政的な線引きよりも、古来からの信仰の歴史が重んじられた、非常に興味深い事例だと私は思います。
こうした経緯を知ると、富士山頂上という場所が、単なる日本一高い場所ではなく、深い信仰と複雑な歴史が積み重なった、本当に特別な聖地なんだなと改めて感じさせられますね。
奥宮と久須志神社(東北奥宮)の違いは?

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富士山頂に登ると、神社が二つあることに気づくかもしれません。
一つは、これまでお伝えしてきた富士宮口側山頂に鎮座する奥宮(富士山頂上浅間大社奥宮) 。
そしてもう一つが、吉田口・須走口登山道の山頂側(御来光で人気の側ですね)に位置する「久須志神社(くすしじんじゃ)」です 。
この二つの神社の違いを、簡単に整理してみますね。
| 項目 | 富士山頂上浅間大社奥宮 | 久須志神社(東北奥宮) |
|---|---|---|
| 位置 | 富士宮口 登山道 山頂 | 吉田口・須走口 登山道 山頂 |
| 位置づけ | 本宮(奥の院) | 富士山本宮浅間大社の「末社(まっしゃ)」 |
| 御祭神 | 浅間大神(木花之佐久夜毘売命)など | 大名牟遅命、少彦名命(医薬の神) |
このように、久須志神社は、富士山本宮浅間大社の末社(まっしゃ)という位置づけになります 。メインの奥宮に付属する神社、というイメージが分かりやすいかなと思います。「東北奥宮」という別名もありますね 。
祀られている神様も異なり、奥宮が富士山の神様である浅間大神であるのに対し、「久須志神社」は「薬(くすし)」の字が当てられていることからも分かるように、医薬の神様(大名牟遅命、少彦名命)が祀られています 。無事な登頂と健康を感謝するのに、ぴったりの神様ですね。
山頂の奥宮で受けられる授与品は?
富士山頂の奥宮は、前述の通り、富士山の開山期間中(主に7月上旬から8月下旬)のみ開所されています 。この期間中は神職さんが常駐されていて、日本最高峰の神社として参拝したり、お祓いを受けたりすることができます。
そして、苦しい登山を乗り越えた登山者にとってのお楽しみの一つが、山頂でしか手に入らない授与品ですよね。
実際に登頂された方々の情報を見ると、登頂の証となる御朱印はもちろんのこと、お守り、そしてカード状の「開運招福御守」といったものもあります 。日本一高い場所でいただく授与品は、登頂した記念としてはもちろん、格別なご利益がありそうで、本当に魅力的ですね。
注意ポイント
ただし、授与品の種類や授与所の受付時間は、その日の天候や神社の都合、その年の状況によって変わる可能性が非常に高いです。特に山頂は天候が変わりやすく、早朝や悪天候時、閉山間際などは、受付時間が短縮されたり、開いていなかったりすることも十分に考えられます。
御朱印をいただく際も、基本的なマナーとして御朱印帳は持参したいところですね。
あくまで「ご縁があれば」という気持ちで、現地での情報を最優先にしてくださいね。
冨士御室浅間神社と最古の奥宮

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「浅間神社 奥宮」と検索した際に、もう一つ混同しやすい有力な神社があります。それが、山梨県側にあ冨士御室浅間神社(ふじおむろせんげんじんじゃ)です 。
こちらは静岡県側の富士山本宮浅間大社とは、また異なる歴史を持つ、非常に重要な古社です。
鎮座地は山梨県の河口湖畔 。創建は文武天皇3年(699年)と伝えられ、富士山最古の神社と称されています 。
「最古」の解釈の違い
ここで最古の解釈について整理が必要かもしれません。どちらも最古を称していて、混乱しやすいポイントですので。
- 富士山本宮浅間大社(静岡県側):
「信仰の起源」が紀元前27年であり最古、とされています 。 - 冨士御室浅間神社(山梨県側):
「神社の創建年代」が699年であり最古級、とされています 。
どちらも「最古」を称する根拠が異なるわけですね。
そして重要な点として、この冨士御室浅間神社も、独自の奥宮(旧本宮)を持っていることです 。ただし、これは富士山頂ではなく、かつて富士山2合目に存在したお社を指します 。
ですので、「浅間神社 奥宮」と調べた場合、本流は「総本宮(富士山本宮浅間大社)」の山頂奥宮を指すことが多いですが、文脈によってはこの冨士御室浅間神社の奥宮(旧本宮)を指している可能性もある、ということは知っておくと良いかもしれません。
奥宮の開山時期と閉山祭
これは安全な登山の計画にも関わる、非常に重要な情報ですね。
富士山頂の奥宮と久須志神社は、一年中開いているわけではありません。基本的には富士山の開山期間に合わせて開所されており、主に7月上旬から8月下旬までの期間となります 。
そして、登山シーズンが終わる8月下旬(具体的な日付は年によります)には、山頂で富士山頂上奥宮・久須志神社閉山祭が執り行われます 。これは、一夏の登山の無事を神様に感謝し、山を閉じることを奉告する神事です。
これが終わると、閉山に向けた「室閉め作業」が始まり、山頂の神社は厳しい冬に備えて、長い眠りにつくわけです。
注意ポイント
山頂での参拝や御朱印を目指す方は、必ずこの開山期間を狙う必要があります。
正確な開山日や閉山日は、その年の残雪状況などによって変動する可能性があります。年によっては数日のズレは当たり前のようにありますので、計画を立てる際は、必ず事前に富士山本宮浅間大社 公式サイトや、静岡県・山梨県などの関連自治体が出す登山情報で、最新の情報を確認するようにしてください。
浅間神社・奥宮・古来地の繋がりについての総括
さて、ここまで「浅間神社」「奥宮」「古来地」という3つのキーワードについて、それぞれの意味や背景を深掘りしてきました。最後に、これら3つの聖地が、富士山信仰という壮大な物語の中でどのように繋がり、一体として理解されるべきなのか、その核心を総括しますね。
「浅間神社 奥宮 古来地」というキーワードは、単なる場所の羅列ではなく、富士山信仰の歴史的な変遷(時間軸)と、信仰の空間的な広がり(場所軸)の両方を示す、非常に本質的な問いだったと私は思います。
時間軸で見る元宮から里宮への流れ
まず時間軸で見ると、信仰は古来地から始まりました。
荒ぶる神であった富士山の噴火を鎮めるため、山麓の古来地(山宮浅間神社)に、富士山そのものを直接拝む「遥拝所」が設けられました 。ここが全ての原点です。
時代が下り、806年になると、坂上田村麻呂によって国家鎮護の神として、より人々が参拝しやすい現在の浅間神社(富士山本宮浅間大社)の地へ神様が遷されます(遷座) 。これが元宮に対する里宮の成立ですね。信仰がローカルな山岳信仰から、国家的な中心地へと発展した瞬間です。
3聖地を繋ぐ隠された絆
しかし、神様が里宮へ移ったからといって、古来地との関係が切れたわけではありません。ここからが面白いところです。
- 絆① 御神幸道(古来地 ⇔ 浅間神社)
明治時代まで、里宮から元宮へ神様が里帰りする「山宮御神幸」という神事が行われていました 。その通り道が御神幸道です。これは、里宮の権威や神聖性の源泉が、常に古来地にあったことを示す、両者を物理的・祭祀的に結ぶ絆でした。 - 絆② 住所「山宮」(古来地 ⇔ 奥宮)
そして、富士山頂の奥宮 です。ここは浅間神社(里宮)の奥の院でありながら、その公式な住所は、遠く離れた山麓の古来地と同じ「山宮」でした。これは、山頂という最も神聖な場所が、信仰の原点である古来地(山宮)の管轄であったことを示す、現代にまで残る行政的な絆、あるいは霊的な絆と言えます。
このように、3つの聖地はバラバラに存在するのではなく、深いところで繋がり合っていたんですね。
これら3つの聖地の関係性を、改めて表にまとめてみます。
| 呼称(検索キーワード) | 正式名称 | 役割と位置づけ | 他の聖地との「絆」 |
|---|---|---|---|
| 古来地 | 山宮浅間神社 | ・信仰の「原点・元宮」 ・富士山そのものを拝む遥拝所 |
(全ての信仰の起点) |
| 浅間神社 | 富士山本宮浅間大社 | ・現在の「総本宮・里宮」 ・古来地から遷座 |
・古来地と「御神幸道」で繋がる |
| 奥宮 | 富士山頂上浅間大社奥宮 | ・山頂の「奥の院」 ・浅間大社の境内地 |
・古来地と「住所(山宮)」で繋がる |
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こうして整理してみると、富士山信仰の壮大な歴史の流れが感じられて、本当に興味深い関係性だなと私は思います。単なる点と点だった知識が、歴史と空間を超えて一本の線で繋がっていく……まさに、神社巡りの醍醐味ですよね。
これらの繋がりを知ることで、これから富士山本宮浅間大社や山宮浅間神社を参拝する時、あるいは富士登山に挑戦して奥宮を目指す時の、見え方や感じ方が、より一層深いものになるのではないでしょうか。単なる観光やスポーツではなく、壮大な信仰の歴史の流れの中に、今、自分も立っているんだ……そんな感覚を味わえるかもしれませんね。